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来年度の目標

お題「演奏できる楽器」

 

演奏できますよ、と人に話しても良いわよ、と師匠に言われたのはピアノ。

他はいろいろ触ればそこそこ鳴らすことはできたけども(筝、ギター、リコーダーや鍵盤ハーモニカなんてものもアリだ)、お許しをいただいていないので演奏できる、とは言わないようにしてる。

 

ピアノは5歳から習い始め、10歳で先生を変えた。

10歳から習った先生は「中学生で志がはっきりしている子しか教えたことがない」方だったので、私が小学生で初めての生徒だったそうだ。そして先にも後にも続けられた小学生はいなかったという話。

 

私は「ピアノで身を立てたい」という希望はなく「面白いからもっと極めたい」気持ちだけで弾いていた。先生は県下で3本指に入る「怖い先生」として有名だったので、音大生などは「えっ!あの怖い先生に習ってるの?!」と驚愕されたものだが、先生は私を一度も怒ったり泣かせたりしたことはなく、いつも大変和やかにレッスンしてもらっていたにも関わらず、レッスン前後の音大受験生が目の前で破門されたり怒られていたのは良く見ていた。

私と彼女たちの何が違うのか小学生のおつむでは全く分からなかったのだが、今はなんとなくわかる気がしている。

恐らく私は先生にとって「合格させなきゃいけないプレッシャーのない生徒」だったんだと思う。息抜きだ。

 

私にとっても、高校生になった頃はピアノはすっかり「息抜き」だった。受験生と言われる3年生でも演奏会に出ていたので、他の先生方から「どこの音大を受けるのか」と

尋ねられ「彼女は音大“になんか”行きませんよ」と先生がニヤリとしながら言い放っていたのが印象深い(J大受験すると先生には話していたが、偏差値から見ると断然上だったからかな)。

 

自分の結婚式には友達とセッションをしたし、また友人の結婚式で演奏したりもした。

しばらくピアノから離れていたが、来年度の目標の1つはピアノの練習を再開することだ。

「ピアノが弾ける人と結婚したい」と願いをかなえた夫にも長らく弾いてきかせていなかった。

そろそろ復活させても良い頃だと思っている。

大学の次は高校

大学受験に引き続いて高校受験も落ち着いたようで。

 

私の結婚式の時に華を添えてくれたかわいい甥っ子が今年高校受験だった。

満足いく結果だったようで何よりである。

中学での先生の覚えもめでたく、推薦枠で進学できるかも、と話が来たのにそれを蹴っ飛ばして一般入試で受験したらしい。

推薦か一般か、というのは何かと意見が分かれるところだが、私は推薦でもらえるもんはもらっとけ派。

高校の時も大学の時も推薦で決めた友達は誰もちゃらちゃら遊んでなぞいなかったからね。そもそも「楽して遊べる」と思っている人に声はかからない(はず。ネコかぶりの例外あり)。

 

まぁそんな甥の受験だが、当初彼は私の夫と同じ学校に進学しようと思っていたらしい。が、彼の父が「どうしても自分の母校に入れたい!」と毎日定時に帰宅して自宅勉強にばっちり張り付いていたそうだ←義姉の話。

そのあたりに若干の不安は感じるが、まぁ入ってしまえば的なところもあるので是非高校生活をエンジョイしてほしい。高校は楽しんでなんぼだと思っている。

 

先日義母と進学の話になり「あなたのご両親は進学先や就職先をなぜそんなに縛ったの?」と聞かれた。私が結婚するまで自宅を一度も出たことがないからだ。

 

金がなかったからだよ。

 

でも、奨学金は借りずに行ったし(夫の家と違って)、今も両親は自活できている。私達夫婦からいかに金をむしりとろうか画策しているあんたと違ってね、とこのあたりは口には出さないようにしている。

 

私自身、高校生活で何がありがたかったかというと、分別のある友人に恵まれた事に尽きる。

彼らは富裕層が圧倒的に多かったのも事実だが、人を金ではからなかった。個々人の持つ能力と付き合おうとしていた、というか。

なので、私が地元の大学に進学してもそれで友人がいなくなったということはない。結婚式で方々から集まってくれた友人がH,T,K大にJ大出身だったと後から知って驚いていたのが義母だった。あわよくばこの田舎の嫁が来ないご近所のおっさん達に誰か紹介してやろうと思ったようなのだが、「えー?だって〇ちゃん東北大学ですよ?」「はー?◆ちゃんドクターですよ?いいんですか医者の妻。」と悉く断って知ったようなのだが。

 

そして大変不思議なのだが、私の夫は年下のせいなのか、自分が大学に落っこちたことがあるせいなのか、私の経歴をやたら誇りに思っているらしい(でも最終学歴はJ大だぞ)。FBにどうして出身校載せないの?などと素で尋ねてくるのがなんだかくすぐったい(ちなみに載せないのは「同窓生です」と偽OBが訪ねてきたりするからです)。

 

しかし、義母が甥っ子の合格を知った時に「これで我が家に御三家がそろったわね」と言い放ったのにはびっくりした。あなたのお子さん達、御三家じゃないから。どさくさに紛れてヘンな事言うなよ。

 

※ここでいう御三家は全国区呼ばわりされているものとは関係ありません。

家事能力

 

 

 

学習指導要領の改訂によると、その昔、技術・家庭科の授業は今の授業数の2倍以上あったそうな。昭和33年代と今の私が当時学生だった時でも2倍程度の差がある。

なので、今の若い人たちが家事ができなかったり、電気系統がちんぷんかんぷんだったり、大工仕事ができないのはある程度は仕方がないことらしい。

 

学校で習わない分、家で教えろよ

なのか

そんなことはプロの業者にまかせろよ

なのか

そのあたりの解決法に疑問を投げかけている論文をみた。

 

まぁ、男女どっちにも教えるために、技術家庭科は端折ってもいーじゃん、も分からないでもないが、個人的に

保育

だけはそれなりの時間数を男女ともに確保しておかないとあかんのじゃないかとは思う。

 

人間得意不得意があるので、技術家庭科の類が苦手ですっごくいやだった人もいるだろう。逆に五教科が辛くてしんどくて…という人もいたはず。私は技術家庭科に予習がないというだけで軍配は完全にこっちだ。

 

舅は高所恐怖症で大工になれなかっただけで、大工仕事は大変得意だ。そして裁縫が趣味で、繕いものやミシンもこなす。私の夫は工業系が得意で、未だに整備工になりたいと言っている(老後の楽しみにとっておけ)。

私はおそらく母が家庭の道に大変長けていたおかげで、冬の休みは舅と針仕事をする仲になってしまった。

 

こうなると面白くないのが姑だ。

面白くないのは分かるが、舅や私がしている針仕事を「時間の無駄だ」「貧乏くさい」と落としにかかる。なので、舅も私も姑の繕い願いは一切引き受けない(仮に引き受けてやっても文句を必ず言われるからやるな、と舅がそれとなく伝えてくれ、また嫁の立場から断れないだろうと矢面にも立ってくれた)。仕方がないので彼女は自分でとりかかったりするのだが

 

危なくてみていられない

 

程度ならともかく

 

危なくて近寄れない。

 

針仕事が終了するとたいてい床か机にハリが落ちている。

遠目から見ていると、そもそも必要なもの以外とりのける、という発想がないらしく、洗濯物やカバンに手帳、の間に裁縫道具を広げている。

そしてピンクッションを使わない。

バスタオルや下着に針落としたらシャレにならないのだ。

 

どこで基本を落っことしてきたのだろうか。しかも授業数は私の倍時間こなしているはずの姑である。

 

得意不得意は分かる。針目がそろわない、ミシンが使えないのは仕方ないとしても針をあちこちに置き去りにするのはやめていただきたい(大体舅が見つけて怒っているが)。

 

そんな姑だが、料理がうまいかというとどちらかといえばブーで、それはしっかりご自分の娘にも受け継がれてしまい(というかそもそも教えてもいない)、ご主人が裁縫をし、子供たちから食事がマズイといわれ、私にクレクレ攻撃をしかけるようになってしまったのだよ。

姑の言い訳によると、娘が昔アイロンを触って火傷をしたことがあって、それから一切ケガになりそうなものには触れさせなかったんだそうだ。包丁しかり、ミシンしかり。

道理で私の夫が

「あなた、アイロンかけられるんだね」

とヘンなところで感動してたわけだよ。

 

かわいい息子が嫁のアイロンがけに感動すると、「私だってかけられるんだからっ!」と対抗して力任せにぎゅうぎゅうアイロンをかけるものだから、私が持ってきたアイロン台は2か月ほどで台がボコボコになり使えなくなってしまった。

 

アイロンはね、アイロンの重みを使って滑らせて使うんだよ。

 

そこらへんの年寄りのようだが

いったいどこで何を習ってきたのか。

ちなみに、姑の出身校は俗にいう「花嫁修業でハクのつく女子高」である。

今は廃校になってもうない。

 

 

 

 

 

 

夫がいないと舅姑が困る話。

 

 

今朝、朝食を食べながら義父が「さっき〇血した」とか言い出す。

 

胃の検査をして生検したら、そこから出血して血がとまらなくなり緊急搬送されICUに入ったのはつい先日のこと。

その時の前兆と一緒だと言っている。

 

なんでメシ食ってんだよ。食ったら検査できんだろうが。

 

思考回路が理解できない。

 

とにかく病院に行ってもらうことになった。

 

病院、といえばこのあたりの田舎の総合病院というのは概してレベルが低い。

以前、義父が大腸検査をしたところポリーブが発見され摘出、そのまま入院になった事がある。

仕事から帰宅すると家には誰もいない。義母に連絡すると何もきいていないが、病院に検査に行くって言ってたから病院に確認しろというので電話をした。

 

個人情報につきお答えできません(個人情報しらんだろうというような得意げな声)。

 

おまえ、折り返し電話して確認しろや。

と思いつつ

帰宅したら病院に行くといっていた舅が帰ってなくて何の連絡もないんですが、こういう場合家族はどうしたらいいんでしょうねぇ?警察に言えばいいんでしょうか?

と大変軽蔑した口調で申し上げたら

 

お、お待ちください(汗)。

 

教えてくれた♪。

アタマ使えよ。

しかも個人情報思いっきり漏らしてるやん。なんとか詐欺に騙される典型パターンだよ。

 

スタッフがこんなだから医者のテクニックが低くて失敗ばっかするんだよ(さっきのICU送りはただの失敗だったそうな)。

 

毒づきついでに、やはり同じ病院に姑が入院した時、どこからどう手を回したのか私の携帯電話に連絡してきた医者がいた。

舅と連絡がとれないんだがどこにいるか知らないか、という。

私仕事先だし、しらないけど、午後の面会時間に見舞いに行くと言ってたよ、と答えると

 

いや、午後じゃ間に合わないんです(叫)!

 

聞けばやっぱり手術ミス。術後ドレーンから出ていくはずのものが出て行かずに体内にたまって死にそうになってるからもう1回切らせてくれという話で。

 

ああ、じゃあ私が病院行ってサインしましょうか?姑の意識はあるんでしょ?

というと

 

いや、お嫁さんは他人なので手術のサインができないんです(絶叫)!!

 

んじゃまぁもうどうしようもありませんから、とりあえず病院行きますわ。舅は携帯電話持ってないんで、家に書置きと留守電入れておきます。

と仕事切り上げて自宅に戻る。

病院から鬼電履歴。

なんどかけたっていないもんはいないんだよ。

 

まぁその後私が機転をきかせたので、無事緊急手術をして生還した。

 

義母は嫁が目の前にいるのに「嫁は他人だから夫(舅)がサインしないとどんなにあなたが手術に承諾してもできない」と病院スタッフから言われて、苦しむ時間が無駄に長かった。

義父はハメをはずしていてつかまらなかった。

ここまで読んで不思議に思った人もいるだろうが、実子である息子は海外出張で物理的にサインできる状態になかった。

 

私がいても何にもなんないんだよ。振り回されるだけ振り回しといてわかってんのか!

と夫に怒った。

 

あれから嫁の立ち位置が若干変わったのも事実。

今朝の件、姑は舅の様子次第で病院に付き添うそうだ。その連絡は必ず入れると言っていた。

ええ、私じゃサインのひとつもできませんのでね。夫もいないしお二人で何とかするしか今はないですよ。

と答えたら、嫌そうな顔をされた。そうだろうよ。

 

そしてまた取り残されるワタクシ

明日から夫は出張だそうです。

また取り残される私と娘。

単身赴任も数年やられてます。

 

ワンオペ、大変なのよーとか巷で良く言われておりますがね。

私は夫の単身赴任時も出張時も義両親と完全同居なんだよ。

ワンオペ、どんなにうらやましいことか。

親子だけならすぐ終わっちゃうことが無駄に時間を食うんだよ。食事も洗濯も風呂も。

これだけで相当ストレスになって、結婚してげっそり痩せ。そして義母から「ご近所の目があるから何とかしなさいよ。まるで食べさせてないみたいじゃない!」と言われる。いや、実際食べさせてもらなくてあなたおすすめの医者で「栄養失調です」って言われたわよね。

 

孫との関係も悪化の一途。

基本「孫と遊ぶ時間はない、勉強しろ」の一点張りなので、子供がねじれてきて厄介事しか起こらない。

宿題をしていると「(孫が宿題してるせいで)テレビがみられない」と文句を言い出す。早く寝ようと思えば深夜までテレビをガンガン鳴らしていて寝つけない。おかげで朝は常に寝不足。いつかはずみでテレビをぶっ壊そうかと妄想し続けている(壊れたら息子にお金を無心して買いなおすことが見えているのでやらない)。

 

そしてよく分からないのは、義母というのはどうして息子がいる時といない時でああも態度が変わるんでしょうね。

また憂鬱な日々が始まるのです。

そして私は夫に日々「本日の仕打ち」を連絡し続けるのです。

夫は日々「すみませんごめんなさい」とメールを返し続けるのです。

こうやって嫁の性格はどんどんねじまがっていくのだよ。

 

大学入試の話をしようか

この土日、国公立大学の入試だったようで。

 

〇年前に私も受けてるわけだ。うちは貧乏で自宅通勤限定だったから行ける大学は限られていて、実際1校しか受けていない。地元校だからJ校とでもしておこう。

 

J校が総合大学で学部が選べたというだけでも感謝しなければならない。

自分の行きたい学部は選べたわけだからね。

J校とはるかに当時偏差値の低かった防〇大受験して、どっちも受かったから防〇大だよー(その子は高校の時から奨学金をもらって授業料免除だった)と言ってる子もいた。

 

今はそこそこの授業料らしい国公立大学だが、昔は半期の授業料が5ケタだった。でもその5ケタがひねり出せないお宅もたくさんあったわけだよ。バイトして稼いでる子も学内に一定数はいた。

 

高校も当然公立だったのだが、貧富の差はそこそこあって、国公立専願と私立併願とがくっきり分かれている有様だった。

ただ、先生は専願者にすごく力を入れていたため、マークシートで大コケした時の救済法はすごいものがあった。今でも「ボクほんとはこんな大学来る予定じゃなったんですけどコケちゃったんですよ」と言ってる子がいて、そういう話をきくと先生頑張ったな、と陰ながら思っていたりする。

 

当時の両親と私の最適な落としどころがJ大学だったし、昔はそういう子がたくさんいた。家から一番近い学校にしか行ってない、という地方公務員の同級生もいる(就職先も自宅から近い)。逆にJ校行かないならT大かK大じゃないとね、みたいな空気があったともいえる。

まぁ特筆するような大学でもないので、県外からきた学生は偏差値で来てるんだなとしか思ってなかったし、こんなド田舎で大学デビューなんかするなよ恥ずかしい、などと冷めた目で見ていた。

良かったのは、若くてエネルギッシュ、かつ優秀な先生がJ大学を踏み台にしていったことだ。彼らの授業はとても面白く、ゼミも魅力的だった。時々「なんでこんなこともわかんないの?今まで何勉強してきたの全くー」と言い放つ先生もいたが、J大学は地方大学だから、学力の差が大きかったのも事実だと思う。

 

自分の子はもうちょっと冒険させたないなぁという大人が私の周りには多い(私も実はその1人)。

私立大学に通った同級生で「こんなにおカネ出してもらってたなんて信じられない。私今の収入では自分の子にはあんな金額は出せない」と言ってる子もいる。確かに私は私学の学費を知らない。でも、国公立の学費が5ケタの時代に「あんな金額」と言っているならば、今は相当なもんだろう。家の1件くらい建つのかもしれない。

 

いずれにせよ、大学はいつでも行けるし、何度でも行ける。今回が一番最短で願いを叶えられるチャンスではあるけども、別に無理に勝負をかけなくても良いと思うのよ。ただ、通うと決めたからにはぐにゃぐにゃすんなよ、という話。

ありがとうございます。

ブログ開設ありがとうございます。

 

ちくちくです。

 

これまでもブログは書いていたのですが、加齢に伴って「なんだか私って余裕があってステキな楽しい毎日を書いてます(はーと)」アピールに疲れてきました。自分のも、人のも。

 

掃き溜めみたいなブログになっていく可能性大です。

心根が黒くて鼻持ちならないことばかりかも。お目汚し失礼。